【2025年4月】あなたの会社、「逆張りの経営!!」しています~??

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~ 不況でも企業を成長させる方法はこれだ!!~

米中貿易戦争、ロシアとウクライナの停戦は如何?と毎日ニュースから目が離せない日々が続いています。私は先月、20年間住んだ上海のマンションを内装工事により追い出される事となり引っ越しをしました。20年も生活をしていると本当に色々な物を買ったり、貰ったりして不用品がいっぱい!!捨てるのが大変でした...。


さて、今月は「株式会社泉屋東京店」についてお話ししたいと思います。泉屋東京店は日本で初めてクッキーを製造販売した会社であり、泉家が4代タスキを繋いできた会社です。皆さんも青と白の缶に入った「泉屋のクッキー」を頂いたことがあるのではないでしょうか。

泉家と「泉屋東京店」の歴史

年 表
項    目
1912年
京都に住む泉園子氏が、宣教師夫人からクッキーの作り方を教わる。
1927年
泉伊助・園子夫婦が京都市上京区の自宅で「泉屋」を創業。
伊助氏死去後、園子氏がクッキー事業を継承。2027年で創業100年!!
1937年
自宅兼店舗・工場を東京都港区赤坂に構える。
1946年
戦災に遭い、店舗・工場を中央区西銀座に移転。
1948年
新宿区四谷坂町に工場を建設。
1951年
渋谷東横百貨店(2020年3月閉店)のれん街に出店。以後百貨店の出店を進める。
1952年
千代田区麹町に本社・工場を新築するとともに、個人事業から法人に組織変更。
初代代表取締役は、泉英男氏が就任。シンボルマークの浮き輪の紺白缶が登場!!
1972年
英男氏死去。妻の薫子氏が代表取締役社長に就任。
1988年
薫子氏の息子の邦夫氏が代表取締役社長に就任。
1990年代~2010年
バブル崩壊とともに、百貨店での売上が低迷。次々と店舗契約解除に追い込まれる。
2018年
邦夫氏死去に伴い、娘の由紀子氏が4代目代表取締役社長に就任。

由紀子氏は、大学卒業後すぐに泉屋東京店に入社。秘書室、開発部を経て2018年社長に就任しました。就任まで、色々な企画を社長に提案するも、悉く却下される!!父の邦夫社長からは、「お前が社長になったら、3カ月で会社は潰れるぞ!!」と罵倒されたそうです。代表取締役社長に就任後、初めて自社の決算を見て愕然!!何と、10期連続の赤字!!金融機関からの借入も相当な額に上っていました。

菓子業界では、年末商戦に向けて金融機関から借入する事が多いのですが、メインバンクから「この調子では、2018年の賞与資金は出せない!」と印籠を突き付けられる。由紀子氏は「ドン底までとことん落ちたのだから、もうこれ以上落ちることはないだろう。そう思ったら、失敗しようが何しようがやってみるしかない!!駄目なら、不動産を売却して清算すれば良い!!」と開き直って3つの項目を掲げ立て直しを実行!!

項目
再建内容
実行の理由
商品の値上げ、
ラインアップの見直し!!
ギフト用であった泉屋のクッキーは、1990年代以降、他の洋菓子企業に押され、安売り販売を展開していた。しかし、①原料の高騰などもあり、適正価格まで価格を値上げし、②商品ごとの限界利益を追求し、赤字となっている商品は即座に製造を停止する。
殆どの社員が値上げには反対したが、社長命令で押し切る!!
本社を移転!! 東京都千代田区麹町にあった本社を、神奈川県川崎市にある工場に移転。本社と工場が離れている事による不効率を是正する。
メインバンクの変更!!
10期連続赤字だった企業体質を、3年で黒字化にする事業計画を策定。計画に沿って進める事を条件に、メインバンクを他行に切り替え、追加融資を受ける。。

実際に上記3つの項目を実行し、代表取締役社長就任後3年で、2021年にはコロナ下という厳しい環境ではあったが黒字化を達成!!由紀子氏は黒字化を機に、泉屋東京店の次なるステップとして、生産性の向上、付加価値アップを考えています。

But!!由紀子氏は、泉屋に相応しい生産性、付加価値の追求に取り組むべきと思料。例えば、コールセンターの常識はお客様からの電話の受け答えを機械化して処理していますが、泉屋は、高齢の顧客が多いことから、昔ながらの一対一の対話方式でお客様の声を反映する事としています。お客様は、電話注文だけではなく泉屋の長所・短所を言ってくれます。その言葉に、真摯に耳を傾け生産性の向上や付加価値を高めたいと考えています。

泉屋東京店は、2027年に100周年を迎えますが、代表取締役社長就任後すぐにどん底を経験し、そこから這い上がった4代目由紀子社長にエールを送りたいものです!!