[2008年8月号]社会主義「給与」と資本主義「給与」

毎日暑い日が続きます。8月はいよいよ北京オリンピック。「オリンピックなんて、まだまだ先の話」、だと思っていたのがつい昨日のような気がしています。

さて、今回は「給与」のお話です。『「給与」には2種類ある』というのは、ご存知でしょうか?「給与」は中国語では「工資」と訳されています。しかし、「工資」の意味するものは、私たち日本人が考えている「給与」とは異なった概念なのです。
これを発見したとき、「なるほど、それで中国人スタッフはあのような要求をしてくるんだ!」と目から鱗が落ちた思いがしました。ぜひ、以下をご一読ください。
 
● 社会主義「工資」と資本主義「工資」
中国の「広辞苑」とも言うべき、「辞海」という辞書があります。上・中・下巻合わせて6,200ページに及ぶ大辞書です。その「辞海」に掲載されている「工資」には、2つの意味が記載されていました。それが、①社会主義「工資」②資本主義「工資」です。まずは、辞書に記載されたそれぞれの意味をご一読ください。
 
● 資本主義「工資」
労働力価値を貨幣で表現したもの。即ち、労働力の価格である。労働者は労働力を資本家に売り、資本家は仕事時間、あるいは出来高によって貨幣で「工資」を支給する。これは、労働者の全ての労働に対しての報酬であることを仮想している。しかし実際は、労働者の創造した価値は労働力の価値を上回っているため、「工資」は労働者が労働で創造した価値の一部であると言える。労働力は過剰に存在しているため、「工資」は、常に労働力の価値以下に抑えられる。
 
● 社会主義「工資」
労働に応じて分配する制度における、主とした形式である。国家、または企業が労働者に提供された労働の数量と質量によって、事前に規定された報酬によって貨幣で分配が行われる国民収入の一部が「工資」である。
 
この両者の違いを簡単に言ってしまえば、
・資本主義「工資」とは、労働者が創造した「価値の一部」である。
・社会主義「工資」とは、あらかじめ定められた数量と質量をこなすことで「国家から分配」
されるもの。
と読み取れます。
 
つまり、私たち一般企業に勤める日本人にとってみれば、給与とはその個人が仕事によって生み出す価値・能力によって支払われるもの、という理解がありますが、中国人にとっては、定められた数量・質量の仕事をこなすことで分配されるものという理解が強いのかもしれません。
この考え方からすると、中国しか知らない多くの中国人にとってみれば、給与(工資)とは「自分の仕事がどんな利益をもたらしたか?」のではなく、「自分の仕事がどれだけの数量・質量をこなしたか?」つまり、結果としての「利益・付加価値」ではなく、「自分がこなした量」で給与(工資)を考えてしまう事も充分想定されます。
 
私たち日本人が「仕事の価値」を教育され、評価され続けることで「給与の常識」を醸成してきたように、彼ら中国人も「仕事の量・まじめさ」を教育・評価され続けてきた「給与の常識」を持っているとしたら。私たちが社会主義「工資」を理解できないのと同様に、彼らにとっても資本主義「工資」は理解し難い概念なのかもしれません。
 
どちらが良い・悪いではなく、自社が評価したい基準を教え、それを実践している従業員が評価される会社にすることが重要と言えるのではないでしょうか。