前回は、「社会主義『工資』」と「資本主義『給与』」についてのお話でした。
今回は、より具体的に中身の相違を見ていきます。弊社では、2005年から「給与の実態調査」として、「給与調査報告書」を発行しています。
その発行に当たって、最も困難だったのが実は「給与の定義」だったのです。中国系企業の人事担当の誰に何度聞いても、「基本給と、手当が・・・たくさんあって変動する」という、あいまいな回答しか帰ってきません。そして中国に進出している日系企業の業種・業界間でも、また求職者によっても、求めてくる「給与の定義」がバラバラなのです。・・・なぜか?
その謎が、ようやく一つ解けました。今回は、なぜ中国「工資」はここまで理解しにくいのか?その要因と考えられる背景についてお話します。
今年から弊社では中国の国営企業、官公庁といった典型的中国系企業の「給与明細」を入手してきました。その中身は驚きの連続でした。まず、明細内容が非常に細かく分類されています。近しい日本語で表記するなら、「基礎給」、「職務給」、「職階給」、「勤続給」、「地区手当」、「生活手当」、「奨励金」、「特別手当」、「警備手当」、「物価手当」・・・などなど。手当類の総数だけで30種類以上にも及んでいるものもあります。
確かにこの状況だと、中国系企業の人事担当でも給与について具体的な回答ができないのも無理はありません。では、なぜこういった不可解かつ複雑な給与形態となっているのでしょうか?
その答えは「中国建国の歴史・国営企業改革の歴史」抜きで理解することは難しいようです。
近代中国における企業管理の発展史は、現在までで大きく3期に分類することができます。①中華人民共和国成立前の前段期。②建国後の改革・解放前。そして、③改革・解放後、の3期です。
特筆すべきは、②「改革・解放前」の社会主義支配が色濃く投影された時代です。
この時代に「従業員代表大会」が生まれました。また、この時代は会社に「破産」という概念もなく、「競争」「取引」といった概念もありません。給与は国家が平等主義を原則として決定し、各自に配分していました。この時代の福利は、従業員とその家族も含めた「生、老、病、死、衣、食、住」全てを会社が全額を負担して面倒を見ることが『当たり前』の時代だったのです。
その後、文化大革命という混乱期を経て、1979年頃から国有企業管理の改革が行われ、やっと給与を会社が定めることが認められるようになり、1992年に始まる社会主義市場経済体制という急激な変革で大発展を遂げる現在に至っています。
つまり、現在の国営企業・官公庁で実施されている「手当類」は、社会主義的な発想を根源としつつ、混乱と急激な変化を経てきたため「複雑怪奇」な姿となってしまったのかもしれません。また、給与のみならず「洗髪手当」や「帰省休暇制度」、また「住宅積立金制度」という中国独自の制度も、従業員の「生、老、病、死、衣、食、住」は、「会社が全て面倒を見るべきもの」という考え方が根底にあるからと考えると、理解しやすいかと思います。
中国系との合弁からスタートし、当初は直接雇用が許されないという、会社経営としては歪な形態から始まった日系企業の進出は、業種・業界ごとに「先発組みから学び」そして先代の総経理が使っていた仕組みを「踏襲する」事で給与体系が構築され、現在に至っていると言えるかもしれません。
御社の考える『給与の当たり前』は、本当に全ての業界・業種で『当たり前』と言えるでしょうか?ぜひ、弊社で実施する「給与調査」にご協力いただき、その実態をお確かめ下さい。