
PDF版はこちら →ひろよしくんのみみ 2025年12月号
~地域密着型企業の生き残り方法はこれだ!!~
先月開催されたMLBワールドシリーズはご覧になりましたか?ロスアンゼルスドジャースの山本由伸投手がチーム勝利4勝の内3勝、それも第6戦を投げ翌日の7戦は救援投手として投げて勝利投手。大谷翔平選手は第3戦で2ホーマー、2二塁打、4フォアボール合計9打席すべて出塁ともう漫画のような展開でした。佐々木朗希投手を含め日本選手がMLBのチームの一大戦力になっているのは嬉しいですね!!ガンバレ日本!!
今月は、彼らのような派手な職種ではなく、地域密着型で成功しているスイーツ店をご紹介したいと思います。神奈川県湘南でレストランを始め、いつの間にかビーカー入りの焼プリンで有名になった「マーロウMarlowe」。何と1日4,000個、年間150万個を販売しています。現在は12店舗(神奈川エリア10店舗、東京エリア2店舗)、プリン工房2拠点、ECショップと本部オフィス1拠点がその企業構成です。
創業者である白銀正幸氏のマーロウ立ち上げ時のプロフィールは、以下の通りです。
| 年 度 | 内 容 |
| 1949年 | 青果店を営む両親のもとに、長男として生まれる。 |
| 1970年 | 神奈川大学経済学部卒業後スーパーのダイエー(現イオン)に入社。 仕入業務担当として13年の経験を積む。 |
| 1983年 | ダイエーを退職。地元に帰る。長男としてゆくゆくは青果店を継ぎ、親の面倒を見る事を考え、場所柄から宿泊業を計画したが、行政の許認可が下りず方向転換し、飲食店の開業を目指す。2か月間夫婦とも他店で飲食業の修行!!本人は調理、奥さんはホール業務を学ぶ!! |
| 1984年 | 飲食業経験者2人を採用し「レストランマーロウ秋谷本店」を開店。当時は、冬になると逗子・葉山まで観光客は足を伸ばしても秋谷まで来ないため、月売上300万円~400万円が半分に落ちるので経済的にも大変!!且つ、既製品の食材を使えば楽なのですが、オリジナルにこだわりがあり自前で仕込みをしたため、大変な日々が続く!! |
この厳しい状況を救ってくれたのが、開店当初から提供していたプリン。
| プリンなら誰でも作れる。But自分にはパティシエのような技術はないので、素材にこだわる事と何かアクセントが欲しい!!(素材となる卵は植物性飼料で育てられた鶏卵、北海道産の新鮮な牛乳、バニラビーンズ、上白糖を使用するこだわり) |
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| 修行先が、耐熱ビーカーでプリンを作っていたことを思い出し、市販の1.5~2倍サイズのプリンを作り、オーダーがあった時に、耐熱ビーカーをくりぬき皿に盛り付けて提供!!美味しいので家に持ち帰りたいという話が出始める⇒プリンがマーロウの主力商品化していく!! |
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| プリンのテイクアウトが増えたので、ロゴ入りの容器を作ることに。(レイモンド・チャンドラーの著書に登場する、探偵フィリップ・マーロウ)そしてカスタードプリンだけでなく、かぼちゃプリン、クリームチーズプリンなど種類を増やしていく。 |
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| この時強く意識したのが、「オンリーワン且つナンバーワンの商品開発!!」⇒「個性的で良い商品を適正価格で提供する!!」徐々に雑誌などに取り上げられるまで認知度が高まる⇒2000年にそごう横浜店からの要請で2号店をオープン。その後の出店もすべて先方からの要請。 |
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| 創業20周年に限定デザインのビーカープリンを販売したところ、そごう担当者から催事用にキャラクターのオリジナルビーカーが作れないかという話が持ち込まれる。⇒何とこのコラボレーションの相手は、サンリオの「ハローキティ」 |
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| その後立て続けにコラボレーションの依頼を受け、「ムーミン」、「スヌーピー」、「ひつじのショーン」などを手がける。千と千尋の神隠しに出てくる「湯婆婆」は大人気!! |
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| 順調に事業を伸ばしていた矢先、2011年3月の東日本大震災の影響で客足が途絶える。But!!横須賀出身の小泉孝太郎氏がプリンをテレビで紹介してくれたお陰で注文が殺到し、業績回復!!東京GINZA SIXにも出店!! |
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| 2020年に始まったコロナの影響でオンラインショップの売上が伸び、さらに三密を避けるため湘南エリアに足を運ぶ人が増え、さらに売上が増加!! |
身の丈を知り、周りに支えられて成長してきた白銀正幸氏のこだわりと生き様に頭が下がります。
